「掃き溜めに鶴」と「掃き溜めに宝」
「掃き溜めに鶴」という慣用句があるが、辞書(大辞泉)によれば「掃き溜め」とは「1 ごみを掃き集めて捨てておく場所。ごみ捨て場。ごみため。「―をあさる」2 雑多な人や物が集まっている所。」というふたつの意味があり、そこに「鶴」がいるということは、すなわち『つまらない所に、そこに似合わぬすぐれたものや美しいものがあることのたとえ。』となる。
また「掃き溜め」は英語では“a rubbish heap”というらしい。“rubbish”は「ゴミ、ガラクタ、つまらない物(事)」などの意味であり、“heap”は「堆積物、かたまり、たくさん」などの意味であるから、単純に『ゴミ溜め』ということになる。しかし「掃き溜めに鶴」という言葉は“a jewel in a dunghill”と表現する。
鶴が“a crane”なので単純に“a crane in a rubbish heap”と言うのかというと、そうではないようだ。仮にそう表現すれば、本当にゴミ捨て場に佇む鶴のことを指すのだろう。“jewel”はご存知のように「宝石、貴重な物」で、“dunghill”は「堆肥、糞の山」という意味であり、これだけで「掃き溜め」という意味でもある。
つまり、「掃き溜めに鶴」は日本的な言い方であり、英語では「掃き溜めに宝石」という表現になる。価値のあるものを表現するのに、日本は縁起の良い動物を使うのに対して西洋では飾り物で使うという、和と洋の文化の違いが慣用句にも表れている。
この世の「掃き溜め」と「宝」
「掃き溜めに鶴」の「掃き溜め」とは、本当のゴミ置き場ということではない。「つまらない、価値の無いものの集まり」である。英語ではポンコツ車のことをおどけて“heap”と表現するらしいが・・・。
掃き溜めの社会はどこにでもある。でも、その中にはきっと鶴がいるに違いない。その鶴は周りの環境に汚染されているである。
人間は弱い動物である。今の現状を打破する勇気がない。前向きに変えていきたい気持ちはあっても簡単にはできないのである。万物はエネルギーを高く保ったままでいることは困難である。必ずエネルギーの一番小さな状態に向かおうとするのである。
だから掃き溜めが出来てしまう。でもそれは自然科学的にごく当たり前のことなのである。では、どうすればエネルギー(ここでは量的なものではなく状態を示すので、以後、ポテンシャルと表現しよう)を高い位置に持っていけるのか?それを考えないといけない。しかし、ある壁を乗り越え一度高いポテンシャルに位置すれば、その壁が崩れない限り、そのポテンシャルを維持することは非常に簡単なことなのである。
経験した人ならすぐに理解できることなのだが、未経験の人にとっては理解不可能かも知れない。だから、そういう人のポテンシャルを上げるのには大きなエネルギー(これは量的なもの)を必要とする。高校の物理で習ったと思うが、運動エネルギーと位置エネルギーの話と同じことである。
もし、自分が「掃き溜め」の中にいると感じているのなら、その中の「鶴」、いや、「宝物」になろうではないか。そうすれば、「掃き溜め」という社会はなくなるに違いない。そう信じたい・・・
そのためにはどうしたらいいのか?・・・そうだ!資格を取ろう!!